会員作品

紅頬集 秀句佳句

 会員の方の作品集「紅頬集(こうきょうしゅう)」より、特に優れた俳句の選評「紅頬集 秀句・佳句」を転載しています。
令和2年(2020)7月号より、「紅頬集」の選は、田島和生主宰より鈴木厚子副主宰へ引き継がれました。それに伴い、選評も鈴木副主宰となりました。

令和2年(2020)

10月号 鈴木 厚子 副主宰

太陽を手に受くるごと杏の実   斎藤  直子(巻頭)

 杏は唐桃ともいい、古く中国から渡来した実で、種子に杏仁という鎮咳作用をもつ。朱色の杏を一粒手に受けたとき「太陽を手に受くるごと」と、感受。さぞ立派な実で太陽のような輝きだったに違いない。対象を手もとに引き寄せたときの澄んだ感覚だ。作者はシアトルの人。

初螢子の手へわたす大きな掌   神山 貴代

 初螢を大人の大きな掌から子の小さな手へ渡した瞬間を切り取っている。子の手を点す螢の灯は覗き込む頻まで映す、しかも初螢。子は自分の手の上を這うこの神秘的な光に魅せられる。読み手も幼心にかえりドキドキさせられる。作者は船橋の人。

腹に抱く一羽限りの鷭の雛   岩崎 利晴

 鷭は夏鳥で、体全体が黒っぽく、額から嘴の基は赤く先は黄色。蹼はないが、潜きも、歩きも巧み。鳴き声はクルルックルルッと低く鳴き、俗に鷭の笑いといわれている。 その鷭がたった一羽のまっ黒い雛を腹深く抱いている。「一羽限りの」に天敵に襲われ、たった一羽になったかけがえのない雛という。哀しさをさそう。作者は東京の人。

背戸口に呼ばれてゐたる麦茶かな   志賀 理子

 背戸口、つまり家の裏口に呼ばれ、「まあ麦茶をどうぞ」と、労られている。作者が近くを通っていたのか、近くで仕事をしていたのだろうか。田舎の生活の気さくさが出ている。香ばしい麦茶の冷たいさっぱり感がいい。殊に熱中症に気をつけ合う田舎人の優しい心根を思う。作者は札幌の人。

小さき傘かむる児の守り梅雨ひと日   花房 惠美子

子守りを頼まれた。子が部屋に飽きると外へ。雨の中を子は「傘をかむる」ほど傘にすっぽりと。子は雨でも外が好きで、意のままに行動させてもらえることは子にとっても幸せな一日なのである。作者は高砂の人。

梅雨晴間肥えし鼠の畑過ぎる   須藤 範子

梅雨の晴間に草でも抜こうと畑に出た。突然鼠が目の前を走り過ぎた。よく見ればころりと肥えているではないか。 さぞ栄養がいいのだと、感心するやら、腹立たしいやら苦笑い。畑の静けさと緑が目にしむばかり。 作者は船橋の人。

紺青の海を望むや洗髪   高橋 恵美子

 髪を洗ったあと、海と向かいあって乾かしている。紺青の海の色に今さらながら何といい鮮明さだ。この夏海の紺青こそが健やかさにつながると、洗い髪を梳いている。海のほとりに在し、日々海を見、海を思う心も眺める肉体も 海と共にある。作者は廿日市の人。

夏痩を労られをり整骨院   大前 美智子

 体全体を整えるため、整骨院へ通っている。整体師より、夏痩を労られ、やはり体に出ているのだと、再認識をしている。元々体の細い人には言いにくい言葉なので、整体師のアドバイスを受け、対処されるのが安心である。「労られ」に誰もがほっとする。作者は宇治の人。

覗き見るカルテ判らず梅雨深し   福田  美和

 病名を告げられ、医師はカルテにドイツ語で、病状を書き込む、あるいはコンピューターに打ち込む。覗き見るのだが判明出来ない。そのもどかしさと不安さが梅雨深しに出ている。季節の変貌をうまくとらえている。作者は廿日 市の人。

熊蟬の腹細くして震はせり   世羅 智子

 天を灼き地を灼いて鳴き続ける蟬。殊にシャーシャーと鳴く熊蟬は翅が透いているので、腹を細くして体を震わせて鳴くのが見えるのだろう。一心に鳴いている熊蟬を作者は見つめている。短命なだけに体を細めるほどにと、熊蟬の命を描写している。熊蟬の実体をよくとらえているな、と改めて感心する。作者は広島の人。


なにもかも影となりるて夕焼かな  中島 麻美
干梅の傍で篩をかけてをり     中岡 ながれ
外されて草に還りし茅の輪かな   木本 紀彰
朝顔の襞ほぐれゆく色を得て     山本 好子
蓮池や茎押し分けて舟を出す    木坂 弘子
次々に茅の輪くぐりの急ぎ足    池田 善枝
葬終へて雨にあぢさゐ色増せり   高田 桂子
大粒の雨が過ぎたり青山椒     熊谷 キヨ
人声に子亀転げて水に落つ     田浦 朝子
虹色の蜥蜴に出遇ふ雨上り     秋元 綾子

令和2年(2020)

9月号 鈴木 厚子 副主宰

青芝や放たれし馬群れを抜け   志賀 理子(巻頭)

 一面の青芝、そこに放たれた群れ馬。その中の一頭が群 れをぬけだして走り出した。岬馬のような自然の放牧ではなく、整備された青芝で柵もあり、調教馬だろう。ひろびろとした蝦夷の大地を走るサラブレッドの美しい肢体が見 えてくる。作者は札幌の人。

汗拭ふ額にひとすぢ畑の土   保光 由美子

 通りすがりに声をかけたら、手ぬぐいで汗をぬぐって応えてくれた。その額に畑の土が一筋ついているのを発見。本人は気が付かない。眩しいほどの健やかな笑顔と労働の汗を称えている。作者は東広島の人。

松羽目の松の色濃き夏神楽   太田 のぶ子

 羽目板に松の絵が描かれた舞台装置で夏神楽が舞われている。その松がいやに濃いと感じている。松羽目の松のリフレインで松が強調され、能舞台とは、やはり違うと感じている。作者は姫路の人。

側溝の流れ激しき桜桃忌   石本 純代

 排水のために設置された溝の流れが、今日は殊に激しい音を立てている。昨夜の雨の激しさを思い、その流れる音に今日は太宰治の忌日だと。若くして命を絶った小説家の才能を惜しんでいる。太宰治は昭和二十三年六月十三日、玉川上水に入水自殺、大水で十九日に発見された。二回の忌日をもち、最期の作品が『桜桃』であったので、桜桃忌ともいう。作者は広島の人。

日盛や唐黍の葉の縮む音   椿 恒平

 盛夏炎天の昼すぎ、たまたま唐黍の葉を目の当たりにして、葉が縮んでいく音を感じている。採られているものか、植わつているものかは分からないが、穂の鬚が垂れ、熟した実は多くの枝に分かれ、一粒一粒の実は小粒で薄黄。それを包む薄皮が縮むのだろう。中の実がはちきれんばかりに。また、茎についてる葉であっても、盛夏炎天下であれば縮んでカサカサになる。物音一つしない日盛りを唐黍の葉で表現。作者は大阪の人。

せせらぎを見つけて既に跳の子   世羅 智子

 子が先にせせらぎを見つけて、既に既になっている。せせらぎに入って水遊びがしたいのである。親より先にせせらぎを見つけ、さっさと跣になっている元気な子の姿を面白く捉えている。作者な広島の人。

雨あとの棗の花に水鳴つて   中岡 ながれ

 黄白色の小さな草の花が、雨上がりに生き生きと輝いている。それに呼応するかのように近くの瀬川が鳴っている。
棗の花は目立たない花であるだけに、清楚で気分がよい。 作者は備前の人。

梅雨晴間「空がきれい」と誰となく   佐々木 俊樹

 やっと梅雨晴れとなり、皆が空を仰ぎ、「空気がきれい」と誰となく呟く。長い間、雨や曇りで心まで鬱陶しくしていたことがわかる。雨に洗われた空がこんなにきれいだと、しみじみと。皆もそうだったのだと、呟きがそのまま詩になった。作者の繊細な詩心が出ている。 作者は東広島の人。

太閤のめでし出湯や春がすみ   田代 和子

 豊臣秀吉が愛でた出湯、兵庫県の有馬温泉だろう。出湯に浸りながら天下の秀吉のことに思いをはせている。さすがにいい湯だ。だが春がすみにすっぽり包まれ、景色が一望できないのが残念だ。作者は船橋の人。

冷素麵啜る音してひとりかな   黒川 愛子

 冷素麺を啜っている。なんと美味しいことよと、啜る音が部屋中に響く。思い切り音を立てて、おいしさを味わっている。だが、その音にかえって侘しさを覚え、ひとりとはさびしいものよと。作者は高砂の人。

大方は大地に還る実梅かな   松宮 利秀

 青梅が熟れて、やがて落ちる。家族の多い昔は、青梅も熟れ梅も、酒や梅干しにして家族の健康を守った。そのために植えたのである。今は年を重ね、そういう労働もできない。落ちて大地に還るのを見るだけとなってしまった。 作者は福井の人。

露晴れて雷鳥そこに現るる   西村 知佳子
縄文遺跡すっぽりつつみ蝉時雨 市川 好子
羽抜鶏残り毛立てて睨み合ふ  橋本 信義
芥子粒の沙羅の花芽に絹の雨  高田 淳子
枝伸びて舗道へ散るや柿の花  前美 智子
凌霄花今年いつきに数増やし  瀬川 清子
蛇泳ぐ棒のごとくに一直線   友弘 和子
夏帽子おさへて汀駈け抜ける  水野 春美
薔薇囲む裸婦像少しうつむきて 山岡 ひろみ
日食や簾の影の地にうすれ   松浪 政子

令和2年(2020)

8月号 鈴木 厚子 副主宰

埠頭倉の太き鎖や木下闇   岩本 貴志(巻頭)

 波止場にある倉、おそらく網や綱等の漁具がおさめてある倉庫だろう。扉に太い鎖の錠前が垂れている。辺りは大 樹の木下闇。作者は大樹を見上げ、真夏の大樹の盛んなさまに圧倒された。「太き鎖」の発見が良かった。若者らしい精悍さを感じる。

麦の秋入り日を拝む農婦かな   吉本 香代子

 一面麦秋。一日の仕事を終え、入日に向かって両手を合わせて拝んでいる。太陽の恵みに感謝しているのである。作物全て太陽の恵みであり、自然とともにある農業。今日も無事働かせて貰ったと呟く農婦の姿がリアルに描かれている。まるで、ミレーの「晩鐘」の絵画を見ているようだ。

掃かれたるあとの広前みどりさす   神山  貴代

 神殿の前が帯目も見えるほど掃き清められている。その爽やかなところへ初夏の目覚めるような若葉のみどりが差している。神殿は樹木に囲まれ満目ことごとく新緑で、明るく、森閑としている。すべてに初夏が来る思い。

腕貫きに日の斑の揺れて袋掛   本木  紀彰

 仕事をするには、仕事がしやすいように腕貫抜きという腕を覆い包む布をする。その腕貫きに日の斑が揺れている。袋掛をしている果物の葉の木漏れ日で、顔にも肩にも背にも揺れている。だが作者は腕貫きに焦点を絞り、手先をよく動かしていることに瞠目。

羽閉づる驚に広がる青田かな    福江 真里子

 鷺が大きな翼を張って青田にやって来た。水田に降りるとき、翼を閉じる。肩のみになると、その鷺より青田が広々とひろがっていくという見方。緑がひとしお鮮やかで、読者の心を誘うような明るさだ。

雲切れてもう一巡り牡丹園   芝山 康夫

 さっきまで空を覆っていた雲が切れ、青空が見えだしたので、もう一巡りしようと、牡丹園を巡っている。曇りの時の牡丹の色と日の差す牡丹の色を見比べたいというのか。せっかく来たのだからと、牡丹を堪能している。牡丹は何度見ても見飽きない。「雲切れて...」と簡素な表現が無技巧として生きた。

カサブランカ花嫁の手に匂ひ立つ    斎藤 直子

 花嫁が手に持つブーケに大輪の百合のカサブランカの花 が使われていて、よく匂うのである。華やな花嫁にぴったりで、花嫁が最高に美しくみえるという。こういう時こそのカサブランカだと。「...手に匂ひ立つ」の措辞で、カサブランカが生きた。

葉裏には雨の螢の薄明り   川添 弘幸

 雨の螢が葉裏にぴたりとついて薄い灯りを漏らしている。柿の若葉のような少し大き目の薄い葉、螢も雨では飛ぶことが出来ない。短命の螢が葉裏で、ようやくともす灯に哀れがでていて、しずかさを感じる。

どくだみの匂ひ残して雨あがる   布瀬川 大資

 どくだみは十薬ともいい、白くて清々しいかわいい花であるが、抜くとき臭気を放つ。陰湿の地にはびこり、大方は雑草として引き抜かれるのだが、干して薬草にも使われている。雨に叩かれたのだろう。匂いを残して雨が上がった。その匂いにどくだみの存在を知り、いかにもどくだみだと雨上がりの白を眩しく見ている。

青葉木菟古木の樹液根方まで   斉藤 江津子

 青菓木菟が鳴いている。どうもこの古木らしい。鬱蒼と葉を茂らせ樹液を根方まで伝い垂らしている。上の方には洞もあるのだろう。青葉木菟にとれば住みよいねぐらに違いない。青葉木菟の声をたよりに来て、思いがけなくも樹液を垂らす珍しい古木に出会ったのである。

農一人麦秋の野に沈みゆく   椿 恒平

 一人の農夫が歩いていて、ひろびろとした明るい麦秋の野に沈んでゆく。沈むで起伏のある麦秋の野であろうし、熟れ麦の長い丈も見えてくる。歩く農夫の姿が見えなくなると、急に元の静けさに戻る。静寂のなかのもの悲しいような印象をもつ。農夫は男であり、がっしりした足取りも見え、熟れ麦畑の黄色の野が鮮烈であるからか、何かしら追憶のおもいに誘われるようである。

麦秋や坂東太郎ゆつたりと   細野 健二

 「麦秋」やと切れ字で上句に据えると、ひろびろとした初夏の大景を想像し、「時候」となる。そんな中を坂東太郎すなわち、利根川がゆったりとながれている。日本一の暴れ川だが、今は静かで麦秋のなかを滔々と大河のようだ。 麦秋との取り合わせに成功している。(二は筑紫次郎と称される筑後川。三は四国三郎の吉野川)

蟇蛙声低く鳴く日の出前   稲葉 恭枝

 蟇が日の出前に声を低くして鳴いている。作者は早起き生活で、近くの田で鳴く墓の声の調子が分かるという。蟇と共に汗をしていることが分かる。この句で蟇も暁闇をいち早く感じとることを知った。面白い発見である。恭枝さんの暮らしが見えてくる。誰も詠んでいない句。

ヒーローの新聞纏ひ子供の日   廣田 華子

 新聞紙上でヒーローが報じられていた。自分もこういう人になりたいと強く願望を持ったのであろう。その記事を身に纏って、子供の日を過ごしている。純真な子の姿が捉えられていて、楽しくなる。作者もまた純真な詩ごころの持ち主にちがいない。

青べらの尾まで光を集めをり    西村 知佳子
鈴生りや子の記念樹のさくらんぼ  宍戸 邦子
仰臥して子規の本読む走梅雨    村松 行人
入寮の十二歳の子鳥雲に      前田 節
父と兄物言はずして団扇風     前田 かよ子
糸綴ぢのゆるびし絵本昼寝覚    溝西 澄恵
空豆や山好きな友子沢山      石本 純代
竹林の青きくらがり夏の蝶     熊谷 キヨエ
馬鈴薯の花の向かうは無人駅    橋本 信義
新樹光立ち上がり踏むペダルかな  志賀 理子

 

令和2年(2020

7月号 鈴木 厚子 副主宰

西行庵篠笛ひびく花の山   安藤 照枝(巻頭)

 作者は吉野の桜を見ようと、麓の下の千本から中、上、 奥とたどり、最奥の金峯神社のさらに奥の西行庵を訪れた。 ここは西行が俗塵を避けて三年間幽居し、近くの谷間には とくとくの苔清水もあり、後年芭蕉も西行を慕って訪れ、 両者の句碑もある。作者もかねがね体力のあるうちにこの 句碑を訪うてみたいと、ようやく念願がかない、登って来 た。すると、思いもかけず、篠笛を奏でる人に出会ったの である。なんと良い出会いだろうと篠笛の音色にしばし心 を癒したに違いない。下山の途中でも篠笛の音が満開の山 桜に響き渡り、振り返りふりかえり山を後にした。

春愁の眼に花の黄のあざやかさ   福江 真里子

 春愁の眼に、黄色の花が鮮やかで、眼に痛いばかり。「春 愁の眼」というなにやら、こころ沈む春意である。その眼にも黄色ばかりは鮮やかで、思いがけなく、自然の美に心 あらわれる思いだ。

草の香の風吹き抜ける初夏の朝   糟谷 光子

 満目みどりの中、足もとの草も繁茂し、家の戸を開ける と、草の香が家中を吹きぬける。なんと気持ちのよい香か と、初夏の朝を実感。草の香の素朴さがよく、生命力のあ るさっぱり感を思う。一読明快。心身共に充実していなが ら作者にはその気負いがなく、対象をとらえたときに生れた句。

遊ぶ子ら若葉の色にそまりけり   林 絹子

 遊んでいる子らが若葉の色に染ったように夢中になって 遊んでいる。周囲に一向頓着ない薫風の中の子の姿が生き 生きと描かれている。見た情景を心を通して「色にそまり けり」と言い切ったことで子の無心さがでた。

訓練機のひびく朝や葱坊主   池田 善枝

 アメリカ軍の訓練機が飛び交う岩国基地。その周囲に居 住する人は朝から晩まで訓練機の爆音に悩まされる。そん んな中でも人々の暮らしは淡々と続き、畑には葱坊主が一 列に並んで花を咲かせている。この句は葱坊主の虚無感が いい。作者の鬱屈した心理、虚脱のおもいが葱坊主に托さ れている。

鍵束より一つ抜き取る四月尽   前田 節

 三つ四つの鍵を一束にして持ち歩く作者。今はその一つ を抜き取って家を開けるのか、車のエンジンをかけるか等。 これらの鍵を使い分けて、テキパキと生活をしている。「行 く春や」としたいところを、ズバリ「四月尽」とし、情緒 に溺れない詩ごころの冴えが出ている。「抜き取る」も言 い得て、キャリアウーマンの生活者らしい。

散り敷ける桜蕊踏みリハビリへ   大前 美智子

 桜の花びらが散ったあと、しばらくして萼についている 細かな蕊がこぼれるように地に降る。蕊は地を赤く染める ほどで、その赤さを踏み込んでリハビリへ通う。リハビりへの道はそこを通る他なく、進んで踏みたくはない。落花 とは違った静かな晩春を感じながら、それでも進まなけれ ならない道なのである。

「徹」の声聞こゆる句集春の雷   梅本 重一

『林徹の腕句』の句集を読んでいて、句会で「徹」と名 乗られた声が蘇がえり、懐かしさを感じている。と同時に 「春の雷」に、しっかりせよとカツをいれられたおもいだ というのであろうか。「春の雷」で決まった。

花筏一片ひとひら解かれをり   本木 紀彰

 花びらが一片づつ連なり、水面を覆うのを花筏という。 隙間なくびっしり覆った花びらの水面も凄いものだと思い ながら、よく見ると、一個所解けていっているではないか。 解れる一か所を発見し、なぜかほっとしている。ほぐれを 追うまなざし。素早く、たくみな把握だ。

塔二つ声を張り合ふ百千鳥   栗野 延之

 東西に塔が二つ聳えてる。あたりで百千鳥、つまり、い ろいろの春の鳥が囀っている。まるで、二塔に分かれて声 を張り合っているようだ。この二塔のように、二塔にはそれぞれの特徴があり、東の塔のここ、西の塔はここがとい うのであろうか。鳥さえもそれぞれに味方して声を張り上 げている。面白い見方だ。

剪定枝に雨の八十八夜かな   中島 麻美

 剪定したばかりの枝の切り口を、八十八夜の雨が濡らし ている。匂うばかりの白い切り口が雨、しかも八十八夜の とっておきの雨。立春から数えて八十八日目、農事にとれ ば種蒔きなどの目安となる日。剪定も春の季だが、この場 合は一日限りの八十八夜の方が強い。


チューリップ地平線まで色連ね    斎藤 直子
へばりつく田の泥濯ぐ朧かな     小川 時寛
自転車の空気入れたす昭和の日    藤本 貴子
春疾風高炉の煙海に折れ       熊谷 キヨエ
クレヨンの赤のはみ出すチューリップ 布瀬川 大資
名草の芽土のほぐるる匂ひかな    堀田 智恵美
春の水かけて微笑む石仏       吉本 香代子
卒園の児よりも母の良くふ      市川 好子
草笛を吹いてみるなり一人の歩    小林 秀
病院の窓の端まで春の海       上田 和枝

 

令和2年(2020)

6月号 田島 和生 主宰

イヤリング揺れて程よき花疲れ   林 絹子(巻頭)

 少しおしゃれをして出かけた花見だが、家に帰る途中も特にくたびれてもいない。イヤリングも耳に揺れ、心地よい疲れである。「程よき花疲れ」と詠んだところが面白い。杉田久女の〈花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ>の句は和服 だが、こちらは「イヤリング揺れて」で、若い女性の姿を印象的に描き、秀逸である。

向きかへて出船の汽笛春の朝   内海 英子

 港から出航する船が沖に向かって方向を変え、「ボーッ」と汽笛を鳴らす。「向きかへて」と、船の姿を丁寧に描写した点が大変いい。明るい「春の朝」にふさわしい景である。

蕗味噌をうましと夫の手酌かな   高橋 恵美子

蕗味噌を作ったのは妻。酒の肴にして食べるのは夫。気の張らない「手酌」で飲む夫を眺める妻の、どこか幸せそうな顔も想像されて楽しい。原句は「美し」だが、「うまし」の方が判り易い。

昨日より大き鳶の輪水温む   村松 行人

 空に蔦が輪を描く。その輪が昨日よりも大きく、雄大である。すっかり春めき、小川の水も温み、小魚の影も見える。鳶の輪が大きいと捉えたことで、穏やかに春めいた日和を思わせ、「水温む」の季語の斡旋もいい。

大江戸と名札大きく菖蒲の芽  岩﨑 利晴

 公園の菖蒲園を覗いたら、泥土から菖蒲が芽を出している。その横には大きな名札で「大江戸」と書いてある。小さな芽に大きな名札。古めかしい大江戸という名前も面白い。大江戸八百八町以来のゆかりのある有名な菖蒲だろうか。どんな花を咲かせるのか見たいものだ―という作者の 思いも感じさせる。

城山へ細き間道花こぶし   栗野 延之

 作者在住の浜松の城だろうか。城山へ登るには間道、つまり細い抜け道がある。少し肌寒い春の日に間道をたどれば、白い辛夷の花が点々と咲いている。城詰めの侍たちもこの間道を伝い、辛夷の花を仰ぎながら通ったかもしれない。「間道」という古語を使って、明るい城山の景を鮮やかに描いた。

猫車納屋に立てかけ初桜   三宅 幸枝

 土など運ぶ手押しの一輪車―猫車が納屋の壁に立てかけてある。まだ、風が冷たいが、桜がちらほら咲き始めた。猫車を使って農作業をする日も近い。それまで、立てかけたままである。季節感があり、風景もよく見え、味わい深い。

せせらぎの光の中へ雛送り   市川 好子

 三月の雛祭りのあと、雛人形を海や川に流す風習がある。雛に託して穢れを水に流すというみそぎの名残らしい。最近、川に流すのはもっぱら紙雛だが、この句は「せせらぎの光の中へ」の「中へ」の表現が秀逸である。まるで、雛が光に包まれて神の世界にでも消えてゆくようである。

春衣ゆるやかに着て妊れり   谷口 千恵子

 明るい暖色系の春の着物をまとった女性が妊娠している。大きなおなかが目立たないように大きめの着物であるが、その着方を「ゆるやかに着て」と表現したところが大変いい。「春衣」の季語を生かして、ゆったりした着物姿の妊婦を描き、味わい深い。

吟行の弁当に足し菠薐草   矢吹 通子

 春先の柔らかい菠薐草は大変おいしい。今日は俳句の吟行会で、弁当を持参する。ゆで卵やソーセージ、かまぼこなどを詰めた片隅に菠薐草を加える。あっさりしたお浸しかもしれない。いかにも実感があり、作者の浮き浮きした気分まで感じさせ、楽しい作品である。

青天や守衛に辞儀し卒業子   前田 節

 卒業式の日は抜けるような青空である。式が終わって校門を出てゆく卒業生が守衛に向かって「ありがとうございました」と頭を下げる。その仕草に守衛も思わずほろりとする。そんな光景だろうか。先生だけでなく、守衛にもお礼を言う卒業生がいた‼

被災地に家建ち並び初桜   田代 和子

 作者在住の千葉県では最近、暴風雨で大きな被害が出たが、被災地には早や家が建ち始めた。新築を祝うように桜の花が咲き始める。復興の喜びに爛漫と咲く桜の花がいかにも似つかわしい。〈荷を解けば部屋にひろがるいちごの香〉もいい。

草花の立札傾ぎ凍返る   吉田 美智子
 花壇に種を蒔き、金蘭、銀蘭といった草花の名前を書いた札を立てている。そろそろ芽が出る頃と期待していたところ、急に冷え込んで土が凍り付き、立て札も傾いた。「立札傾ぎ」の写生で、早春の変わり易い気候を鮮やかに描いている。〈もつ煮込む味噌の香りや春寒し〉も面白い。


バス待てばパン焼くにほひ初桜  神山 貴代
幼子のあひる歩きやつくしんぼ  山岡 ひろみ
残雪の固きを踏めり地獄谷    志賀 理子
分譲の旗翻り葱坊主       須藤 範子
千本の紅の鳥居や花の雨     木村 あき子
子規の句で法話始まる彼岸かな  細野 健二
榛の花阿波より風の吹く日かな  太田 のぶ子
風光る物干竿にぬひぐるみ    小林 秀
厨より寿司の匂ひや彼岸西風   藤本 貴子
花冷や翁の洗ふ戦没碑      鷹峰 正龍


 

 

令和2年(2020)

5月号 田島和生主宰

リハビリのテレビ体操うららけし   梅村 由紀子(巻頭)

 腰や足などのけがをし、元のように治すため、リハビリ(リハビリテーション=回復訓練)に専念する。テレビ番組にリハビリの模範体操があり、テレビを見ながら手足を伸ばしたり、転がったり。リハビリのせいでだんだん体調も回復してきた。まさに、春うららである。下五の「うららけし」には幸せな気分も感じさせ、味わい深い。

花冷や指に摺り込む除菌薬   西村 知佳子

 新型コロナウイルスが猛威を振るい、油断出来ない。病院やお店、自宅などに除菌薬があれば、手に振りかける。桜の花が咲き、ひんやりした寒い日は少し気持ちも塞ぎ、気がかりである。除菌薬を手に強く摺り込むのである。具体的に「手に摺り込む」と詠み、実感があって大変いい。

御手洗の水呑む猫や梅日和   内海 英子

 梅の花もほころび、よく晴れた日に、神社に出かけたら、一匹の猫が御手洗(みたらし)の水をおいしそうに飲んでいた。参拝者が口や手を清める水なのに、何と猫が飲んでいるなんて……。あまり見られない光景を即座に詠み上げ、ユーモラスな作品に仕立てた。

豆腐屋の赤きてのひら笹子鳴く   木村 あき子

 まだ寒い冬の終わり頃。豆腐屋がラッパを鳴らして来たので、呼び止めて豆腐を買う。冷たい水から豆腐掬う手のひらは赤く、痛々しい。近くの藪で、チッチチッチと笹子が鳴き、春も近い。豆腐屋の「あかき手のひら」に目を止め、「笹子鳴く」の生き生きした季語を使って、秀逸な作品に仕立てた。

鳴き交はす尾長の尾羽風光る   布瀬川 大資

 尾長は名前通り、尾が体の半分以上を占め、群れをなしてやかましく鳴き渡る。その光景を「鳴き交はす尾長の尾羽」と「尾羽」に焦点を当てて詠む。「風光る」で、尾長が春先の日の光と風の中に輝きながら飛ぶさまを想像させる。丁寧に写生をし、大変いい。

護摩壇の火は高々と二月かな   山田 流水

 密教では不動明王などの本尊の前に護摩壇が置かれ、護摩木を焚いて祈る。その火は高々と燃え上がり、修験者の声も高くなる。厳しい行法に、まだ寒い「二月」がふさわしい。調べもよく、味わい深い。

啓蟄やペダル踏みゆく赤き靴   田代 和子

 啓蟄は二十四節気の一つで、冬ごもりの虫が穴から出てくる季節をいう。たんぽぽや犬ふぐりが咲き、春めいてきた野道を少女が自転車に乗ってゆく。「赤き靴」には自転車を走らせる子のウキウキした気分を思わせる。単純明快な表現がいい。田代さんは初めての投句だそうで、この調子で頑張って欲しい。

用水の貫く街や桃の花   福江 真里子

 この街には用水は通り、さまざまの風景を映して流れる。今日は咲いたばかりの岸辺の桃の花を映している。金沢では藩政時代の用水が随所に流れ、落ち着いた景観にもなっているが、「用水の貫く街」とずばりと詠み、桃の花をあしらって美しい風景に仕上げたところがいい。

花便り伊良湖岬の友より来   松田 道子

 「桜の花が咲きましたから、お越し下さい。」そんな花便りだろうか。伊良湖岬は愛知県の渥美半島先端で、その付近に住む友人からの花便りである。海の近くに咲く桜はさぞや美しいに違いない。伊良湖岬の地名も効き、気持ちのいい作である。

白波の折りたたみ来る春疾風   荒巻 久江

 春疾風(はやて)は、文字通り、春の速い風で油断できない。作者は平塚在住だから、「白波の折りたたみ来る」は太平洋の波かもしれない。北斎の浮世絵のように、「折り」「たたみ」「来る」と目に見えるように詠み、臨場感もあっていい。

鰤刺を酒なしで喰う病み上り   岩本 博行

 鰤の刺身は日ごろ、酒の肴にして食べる。ところが、退院したばかりの「病み上がり」。「酒なしで喰ふ」に悔しい思いがある反面、酒を飲まなくても鰤はうまいと思ったかも知れない。どこか滑稽で妙味に溢れている。

皺増えし妻の横顔根深汁   梅本 重一

 寒い日は温かい根深汁がいい。黙って味わう妻の横顔を眺め、ふと思う。「いつのまにか、皺が増えたなあ」。そのことには触れず「うまいなあ」と言ったかもしれない。庶民的な吸い物の「根深汁」の季語を生かし、ほろりとさせる作である。

山笑ふ鼻むず痒くなりにけり 小川 時寛

 木々の芽が一斉に芽吹いた春の山を、擬人化してひょうげんしたのが「山笑ふ」。だが、「鼻むず痒くなりにけり」と鼻がむずむず痒くなるとは妙である。花粉症のせいと言ったら、当たり前で面白くない。「山笑ふ」に応えて、自分の心身もどこか芽吹くような気分にさせられたのかも知れない。面白いなぞなぞ遊びのような作である。

紅梅の香りに満ちて無人駅   梨和 榮
先生の書斎の窓や山眠る    中岡 ながれ
寒肥にでで虫の殻まじりをり  谷口 千惠子
カンカンと煙管の音や春火鉢  堀田 智恵美
流れゆくまこと小さき雛かな  藤原 幸子
近づけば鯉の口あけ春立てり  水野 春美
大寒は喉の辺りにありにけり  木坂 弘子
切株へ日照雨の走る余寒かな  石本 純代
紅白の万両を生け米寿かな   石井 富子

令和2年(2020

4月号 田島和生主宰

場所や簪ひかる砂被り   市村 英樹(巻頭)

 東京・両国国技館で開かれる初場所。土俵際の見物席、砂被りに坐った着物姿の女性の簪(かんざし)がきらきら光る。まだ、お正月気分のどこか華やいだ初場所に、一点光る簪を詠み、秀逸である。〈大寒や靴音硬き裁判所〉も異色作である。

寒明や鼠の走る路地の奥   梅本 重一

 約三十日の寒が明け、立春を迎えた。鼠も春の到来を喜んでいるのか、路地の奥に姿を見せて走っている。嫌われ者の鼠だが、寒明の季語を得て、どこか愛らしい。楽しい作品である。

縫合を重ねてゐたり寒土用   鈴木 親典

 「手の手術で字が書けず代筆」とあり、手の傷を縫合したらしい。四季四回の土用のうち、夏はよく知られるが、立春の前十八日間の寒土用で寒い。こんなときに重い怪我で何回かに分けて縫合してもらい、さぞや痛かったと思われる。寒土用の季語を生かし、味わい深い。

手術日の決まりし母へ小豆粥  稲葉 恭枝

 小豆粥は正月十五日に一年の邪気を払うため、粥に小豆を入れて食べる風習だが、手術日が決まった母親に小豆粥を作って食べてもらった。手術が成功して欲しいという気持ちを思わせ、心温まる作である。

節分の贅沢巻の昼餉かな   黒崎 朝子

 節分の日、その年の恵方に向かって食べれば幸運を授かるという太巻寿司の恵方巻。その海苔巻に鰻、うに、キャビア、和牛といった高価な材料を使ったのが贅沢巻である。昼餉はいつも、味噌汁に沢庵程度のあり合わせのもので済ませているが、今日は贅沢巻。何とも傑作である。

残心の反り身しなやか弓始   山本 義之

 残心は弓道で矢を放ったあと、その到達点を見極める心構えをいうとある。新年の弓始で、達人の残心を姿はしなやかな反り身になった。「反り身しなやか」と捉えた点は秀逸で、悠々迫らぬ射手の姿をほうふつとさせる。

泥の田へ十字架映り蓮の骨   鈴木 逵子

 枯蓮の田に教会の屋根の十字架が映っている。蓮を収穫したあとの泥田で、枯れた蓮の茎などが散らばる。その中に十字架が映り、どこか敬虔な気持ちにさせられ、味わい深い。

眼を病みし夫の退院根深汁   神代 喜代子

 緑内障などで眼を病んだ夫が無事に手術を終えて退院。夫の好きな根深汁を作ったら、いかにもおいしそうに食べてくれる。根深の深い緑も目に浮かぶようで、幸せそうな家庭の一こまを描いている。

風花や峡の湯舟に身を浸し   橋本 信義

 谷あいにあるひなびた温泉だろうか。露天湯に体を沈めていたら、青空からはらはらと雪が舞う。調べを整えて詠み、風景も美しくて、気持ちのいい作品である。

高階のテラスに立ちて鬼やらふ   多久和 多惠子

 マンション高階に暮らす作者は節分の夜、テラスに立って「鬼は外」と豆を撒く。豆は高い夜空に吸い込まれるように飛ぶ。鬼も頭から降り注ぐ豆にたじたじするに違いない。どこかユーモラスな現代風の豆撒きでなかなか面白い。

遠くへと福の豆撒く大きな手   西村 知佳子

 豆撒きをするのは、野球選手のように力強くて大きな手。力を込めて撒く豆は遠くの空へ飛んで行く。「大きな手」は夫の手かもしれないが、いろいろと想像でき、楽しい作品である。

春立つや電動カートを充電す   西川 節子

 電動カートは車椅子スタイルの乗り物だろうか。今日は立春。カートに充電し、いざ出発という元気な姿が目に浮かぶ。上五に「春立つや」を置き、「電動カートを充電す」と一気に詠み下ろし、勢いがあって大変いい。

波の花ひとひら棟を越えにけり   松宮 利秀

 厳しい寒さの日、岩場に砕ける海の怒涛が白い泡になって飛ぶ。これを花にたとえて「波の花」というが、その一つが屋根の大棟を越えて飛んで行った。風が吹きすさぶ厳冬の光景を「ひとひらの波の花」で活写し、秀逸である。波の花を擬人化した〈軒下に震へ止まらぬ波の花〉も面白い。能登輪島の曽々木海岸に、沢木欣一先生の句碑〈塩田に百日筋目つけ通し〉がある。付近の窓岩で、筆者が若い頃に出会った波の花は、おびただしい数で空に舞っていた。


子ら見入るくるくる廻る餅搗機   秋元 綾子
落下傘部隊枯野に降下せり     岩﨑 利晴
冬椿落ちてきらめく水面かな    長谷川 陽子
寒晴や一刷毛の雲沖へ伸び     福江 真里子
火越しへ手拍子送るどんどかな   宮崎 和子
会ふときの服迷ひをり春隣     矢吹 通子
背に負ふ破魔矢の鈴のよく鳴れり  宍戸 邦子
仏飯を高々と盛る寒日和      阪本 節子
寝つかれず柚子の香残る指の先   木村 あき子
数羽来てどつと集まる寒雀     布瀬川 大資

令和2年(2020)

3月号  田島和生主宰

笹鳴や石棺にある日のぬくみ   溝西 澄恵(巻頭)

 笹鳴(ささなき)は冬の鶯の鳴き声である。笹薮に「ちゃっちゃっ」と鳴くことが多く、「笹子鳴く」ともいう。古墳の近くで笹子が鳴いている。むき出しの石棺に触れれば、心なしか温かい。笹鳴と石棺の温みはまもなく訪れる春を思わせる。五感を働かせ、妙味に溢れた作品である。

金粉を蕎麦にふりかけ御慶かな   鷹峰 正龍

 お正月、蕎麦屋で、置かれた金粉を蕎麦にかけ、お互いに「おめでとう」と言い合う。そんな様子が想像され、いかにも和やかで正月らしい風景である。金沢の食堂で、金粉入りのうどんを食べたこともあるが、金粉はやはり正月がふさわしいかもしれまない。

枯尾花ひとり稽古のちんどん屋   岩埼 利晴

 町外れで男が一人、ちんどん屋の練習をしている。穂花をなびかせ、群れた枯芒の中から「チンチン、ドンドン」と鉦や太鼓が鳴る。どこかうら寂しい光景だが、社会性もあり、異色作である。〈日溜りや兎の齧るパンの耳〉も個性的でいい。

朽舟の波にもまるる寒さかな   荒巻 久江

 小さな漁港か河口辺りの嘱目吟だろうか。丁寧な写生で下五の「寒さかな」で調べを整え、良い作品に仕上げた。〈ふくれ来て餅は小さき音立てり〉は、ユーモラスで楽しい。

床の間に蜜こぼしけり冬椿   小田川 俊子

 お正月に火器を活け、床の間に飾った椿の花が蜜をこぼしていた。温かい部屋で、春到来を間違えて蜜をこぼしたのかもしれぬ。何気ない光景だが、椿の様子を鮮やかに描いている。そういえば、子どもの時分、椿の甘い蜜を吸ったことがある。

ベランダの銀杏落葉を掃きゐたる   武田 久美子

 マンションのベランダに、近くの大いちょうが盛んに葉を散らす。ベランダに出ては金色の落葉を掃くのが最近の日課である。穏やかな、日々の流れを思わせ、味わい深い小品ともいえる。

氷魚の糶すぐに終はりし港かな   竹内 悦子

 氷魚(ひを)は鮎の稚魚。冬場は白く透き通って見える。琵琶湖では魞に入ったのをすくって採るが、最近、漁獲量が少ない。その様子を「糶すぐに終はりし」とずばりと詠む。「港かな」の止め方も無駄がなくていい。氷魚は茹でて三杯酢で味わっても大変おいしい。

大はまち届き包丁始かな   神代 喜代子

 原句は「大魬」だが、「魬」の読みが難しいので、平かなにするか、ルビを付けた方がいい。新年を迎えた港町の魚屋か料理屋だろうか。水揚げされたばかりの見事なはまちが届き、みんなが見守るなか、板前はさっそくさばき始める。いかにも新年らしい光景で、妙味豊かである。

冬の市腰折り見入る赤絵皿   布瀬川 大資

 陶磁器の赤絵といえば、江戸期の九谷焼や柿右衛門が有名。陶器市を覗いたら、立派な赤絵皿があった。見事な色使いに思わず、しゃがんで見る。その様子を「腰折り見入る」と表現する。寒い冬の市で、着ぶくれした体を折り曲げて見る様子が目に浮かび、大変面白い。

軍帽をかむる写真や年の市   辻野 浩子

 一年の終りに開かれる年の市。雑貨が並ぶ中に、古びた写真があり、階級の紀章の付いた軍帽をかむった軍人が写っている。出征する前の青年かもしれない。無事に生きて還っただろうか。「軍帽をかむる」の丁寧な表現がいい。

初霜や妓楼のあとの遊園地   宮地 定美

 遊園地で子どもたちが無邪気に駆け回る。そこは昔、遊郭があり、遊女たちの嬌声も響いた場所だった。今は当時の面影もなく、今年初の霜が白く降りている。歴史の流れを描き、秀逸な作である。

片脚は奥能登へ消え冬の虹   福江 真里子

 日本海に面し、水際が能登半島に向かって弓なりになる辺りの光景だろうか。大きな冬の虹がかかり、硬しは遠く能登方面で消えている。虹の大景を捉えた優品といえる。

震度七バケツの海鼠動かざる   大槻 敏子

 震度七なら激震だろうか。じっと立っておれない位に揺れる。しかし、バケツに入れた海鼠(なまこ)は素知らぬ感じで全く動かない。諧謔味たっぷりの面白い作品である。

網手繰る太き指より寒の水    本木 紀彰
社会鍋喜捨に喇叭の音高し    小林  秀
むささびの座布団めきて森へ消ゆ 曽根 和子
初吟行京都駅にて始まれり    大前 美智子
トーストの香り漂ひ日脚伸ぶ   芝山 康夫
灸を据ゑ歯を食ひしばる寒椿   小川 時寛
人日や白粥に置くミントの葉   加藤 和子
年の暮床屋に眠る教師かな    神山 貴代
かいつぶり一気に潜る舟の影   谷口 千惠子
霊山の木の間に見ゆる冬の滝   保光 由美子

令和2年 (2020)

2月号 田島和生主宰

掘り炬燵大きな足の加はれり   西村 知佳子(巻頭)

 家族で掘炬燵で団欒中、遅れて入って来た父親か夫、育ち盛りの子どもだろうか、大きな足が自分の足に触れる。思わず「大きな足……」と声を上げ、みんなの笑いを誘う。「大きな足の加はれり」の表現は俳諧味もあり、大変いい。

橡の実を袋詰めして浜の市   福江 真里子

 港付近の市場に、袋詰めした橡の実を売っていた。一般に山村で採集される橡の実が浜の市場で見かけるという意外性が面白い。具体的に「袋詰め」と詠み、素朴な橡餅まで想像させ、味わい深い。

鈍色の奈良の堂塔初しぐれ   松本 義實

 古都奈良の寺の建物は時代をへて色も黒ずみ、くすんでいる。急に冷え込んだと思うと、初時雨が走り、堂塔も鈍色を深める。奈良らしい風景を鮮やかに描き、味わい深い。

引金を引けば谺す冬の山   宮地 定美

 猪猟だろうか。猟銃の引金を引けば、轟音が冬山にごうごうと谺を返すのだ。臨場感のある異色作である。「引金を引けば」の猟銃を省略した表現もいい。〈捨墓の一群ありて猟の道〉も異色作である。

報恩講香煙に噎せかしこまる   藤田 惠子

 報恩講は、浄土真宗の宗祖親鸞の忌日に京都の東、西両本願寺で営まれる法要。もうもうと煙る本堂の香煙に噎せながら参拝を続ける。「かしこまる」の表現が大変いい。

古伊万里を膝つき値切る冬の市   布瀬川 大資

 柿右衛門などの赤絵で有名な古伊万里が骨董市に出ていた。しかし、高値で手が出ない。膝をついて負けて欲しいと懇願する。「膝つき値切る」姿に相手も根負けしたに違いない。実感もあり面白い。

障子貼り欄間の鷹の目の光る   栗野 延之

 お正月を前に障子を張り替えているが、顔を上げるたびに欄間んい彫られた鷹と目が合う。ぴかりと光る鷹の目には敵わない。障子貼りにも気が抜けない。

短日や飛石伝ひ庭師来る   藤井 薫

 冬を迎えると日暮れも早い。庭師ものんびり出来ず、庭の脇から飛石を跳びながらやってきた。季語の「短日」を巧みに生かし、「飛石伝ひ」と、具体的に表現した点が大変いい。

時雨るるや門灯点る天文台   本木 紀彰

 冬の初めは時雨模様の日が多く、日が暮れるのも早い。大望遠鏡を備えた天文台には、早々と門灯がぽつんと点る。宇宙の神秘を探る天文台に、抒情的な雰囲気の夕時雨が似合う。

背伸びして柚子捥ぐ夫の手の長き   髙橋 恵美子

 柚子の木には棘があり、特に、高枝の柚子を捥ぐのは大変。しかし、夫は背伸びをし、柚子を難なく採る。いつも見慣れている夫だが、手が長いのも知り、のびやかで健康な夫の姿がうれしい。

暮るるまで米寿の兄の松手入れ   鳴髙 俊子

 米寿を迎えた兄に、庭の松手入れを頼んだら、日が暮れるまで枝を打っている。幼いころから自分を可愛がってくれた兄が米寿を迎えても健康で、このまま松のように長生きして欲しいと願う。

断崖や小雨に揺るる石蕗の花   三宅 幸枝

 切り立った崖に咲く石蕗の花が、小雨に揺れている。断崖に雨に濡れながら揺れる花のけなげさに、作者も感動したに違いない。

走り根に在す石仏石蕗の花   長谷川 陽子

 石仏は大木の根が走る辺りに祀られ、周辺には石蕗の花。鬱蒼と木が茂り、石蕗の花明りに石仏がぼんやり浮かび上がるよう。

琵琶の花勝手口より匂ひ来る   藤本 貴子
鱏の鰭あれば一献温め酒     真部 宣則
浮き桟橋日がな一日冬の波    平岡 貴美子
塩焼の子もち鰰ひれの反り    吉仲 二江
渡り鳥被災の屋根を見てをれば  曽根 和子
冬ざれや古傷いたむ足や腰    西川 節子
鍵かけて出かけるところ枇杷匂ふ 中岡 ながれ
日記買ふ二人暮らしの些事ばかり 竹内 悦子
葱畑抜けて矢切の渡舟かな    古岡 壽美恵
秋深し和紙に滲ます赤絵具    市川 好子

 

令和2年(2020)

1月号  田島和生主宰

山間に光るみづうみ鳥渡る   多久和 多惠子(巻頭)

 山々の間に小さな湖が光っている。大空を北から渡ってきた鴨などが、さらに大きな湖を目指すのか、羽を連ねて飛んでゆく。大景を鮮やかにとらえ、味わい深い。

ながれきて簗にかかりぬ烏瓜  太田 のぶ子

 川の水をせき、産卵のために下ってくる鮎を捕える簗だろうか。その簗に赤いものが掛かっている。見れば烏瓜だ。水辺に下がっていたのが風に落ち、流れてきたに違いない。簗に掛る烏瓜に焦点を当てて詠み、鮮やかな秀句に仕立てている。

炊き上げて薔薇色の湯気今年米   小川 時寛

 新米が焚き上がり、釜から湯気が立ち上る。朝の日を浴びて、湯気は薔薇色である。苦労して収穫した今年米に薔薇色の湯気がふさわしい。詩情もあって大変いい。

鮭釣の糸ぐいぐいと海の中   志賀 理子

 広い河口付近で産卵のために故郷に回帰してきた鮭を釣っている。突然、釣糸が海中に引き込まれ、急いでリールを巻く。「ぐいぐいと」に臨場感があり、大きく成長した鮭を想像させる。作者は札幌在住。同人だった故・小室登美子さんの次女。

山茶花へ海風強き日暮かな   安本 時子

 山茶花は寒さにめげずに咲く。夕暮れどき、山茶花が強い海風に吹かれている光景を無駄のない言葉でずばりと表現した。安本さんは百一歳のご高齢だが、この句のようにお元気そうで、大変喜ばしい。

晩秋や子の影もなき滑り台   布瀬川 大資

 秋も終わりごろ。公園の滑り台には子どもの姿も見られず、ひっそりとしている。具体的に「子の影」と表現し、寂しい晩秋の景を鮮やかに描いている。

上賀茂に豆売る丹波訛かな   福江 真里子

京都市北部の上賀茂神社辺りで豆を売っていた女の人は、素朴な丹波訛だった。京都といえば、婉曲で柔らかい話し方と思っていたのに、意外な話しぶりに作者は親近感を覚えたに違いない。

せんべいへ寄る鹿の目に子の写り   竹内 悦子

 奈良公園には、鹿のために煎餅を売る業者が多い。親に買ってもらったせんべいを幼い子持っていたところ、鹿が寄ってきた。その丸い目に写った子どもの姿を詠む。視点がユニークである。

脱ぎ置きし防寒着から猫の顔   太田 徳子

 厚手の野良着だろうか、脱ぎ捨てた服を見れば、猫が顔を出している。寒がりの猫にすれば、格好の居場所と思われるが、何ともおかしい、楽しい作品である。

コスモスに沈みてゐたり屋敷神   谷口 千惠子

 庭にコスモスが咲き乱れ、祖先をまつる屋敷神の祠が隠れている。コスモスが風に吹かれるたびに小さな屋根が見える。「沈んでいる」という表現で、コスモスの群生を想像させ、味わい深い。

姿よき浮雲一つ松手入   松本 義實

 「姿よき浮雲」は、ふんわりした繭のような形の浮雲かもしれぬ。その雲の下で庭師がパチリパチリを松の枝を打っている。昔から変わらぬのどかな日本の風景を思わせ、妙味豊かである。

桜落葉散る日曜の幼稚園  大前 美智子

 色鮮やかな桜落葉が幼稚園の庭に散っている。日ごろはうるさい位の園児たちの声もしない日曜日。聞こえるのは落葉の音だけ。「日曜の幼稚園」と具体的に詠んだところが大変いい。

秋耕へ準備体操老いの夫   川西 蓉子

 穏やかな秋日和で、夫は畑の手入れに出かけようとしているのか、玄関の前で準備体操をしている。年老いた夫だが「これから、がんばるぞ」と手足を屈伸しているところがなんともおかしい。

鯔とんで川面に闇の深まれり    荒巻 久枝
犬小屋の三角屋根やあきつ飛ぶ   遠山 美咲枝
金婚の妻を労ふ文化の日      橋本 信義
こぼれ萩鯉の水面を覆ひけり    長谷川 陽子
秋茄子嫁と二人の夕餉かな     神代 喜代子
棕櫚の毛のかつらを被る案山子かな 岩﨑 利晴
秋深し野に光るもの翳るもの    山本 義之
芋煮会火を熾す乳見つむる子    曽根 和子

 


平成31年・令和元年(2019)

田島 和生 「雉」主宰


12月号

台風に鷗流されゐたりけり   大槻 敏子(巻頭)

 今年も台風による被害が大きく、中には散会も襲われたところもあった。台風の力には動植物も敵わない。海面にいつも敏捷に飛んでいる鷗が強風にあおられ、流されている。その光景をずばり詠み上げたのが掲句である。無駄な言葉を使わず、鷗の姿に焦点を当てて「流されゐたりけり」と簡明に表現した点が大変いい。

霧晴れて白装束の行脚かな   山本 義之

 「白装束の行脚」から想像して、秋のお遍路だろう。山合いに立ち込める濃霧は日が昇るにつれて薄れ、やがて、すっかり晴れ渡る。白装束のお遍路の向こうに目指す寺の屋根が浮かぶ。「霧晴れて白装束の……」と畳み込むように表現し、「行脚かな」と柔らかく切字で結び、妙味豊かである。

御下がりの無花果のほの甘きかな   小林 秀
 
 神棚か仏壇に供えていた「御下がりの無花果」をいただく。採ってまだ日もたっていない無花果はみずみずしく、程よい甘さである。「御下がり」の言葉から、日ごろから神仏を敬う気持ちも感じられ、気持ちがいい作品である。

土塊の尖りしままに猪の道   本木 紀彰

 雑草に覆われた山陰は一日中、ひんやりとし、猪の通い路になっている。猪が通ってまもない足跡には土塊(つちくれ)がするどく尖り、精悍な姿を思わせる。足跡を凝視し、土塊の面白い造形を発見した異色作で、高く評価したい。

水澄むや水恐ろしとふと思ふ   市川 好子

 作者の住む長野県では今年、千曲川が氾濫し大きな被害が出た。いつもは穏やかな流れで、秋はとりわけ清らかだが、豪雨ともなれば牙をむく。そう思うと、水は恐ろしいと、ふと思う―。水への気持ちを素直に詠み、読み手も納得できる。

穭田へ撒きたる藁の匂かな   佐古 千壽子

 稲を刈ったあとの田には青い穭が生え、一見初夏の光景になる。肥料にするため、今年藁を刻んで田に撒けば、甘い匂いが漂う。「藁の匂」に実感があり、大変味わい深い。

栃の実を拾ふ駱駝の折の前   多久和 多惠子

 動物園の駱駝の檻の付近には、空を覆うばかりに栃の木がそびえる。秋、杤の木は卵型の実を落とす。檻の中の駱駝を見ながら実を拾う。栃の実と駱駝とは特に関係はないが、栃の実を拾う作者を駱駝が眺めているようで楽しい。そういえば、山里などで作る栃餅の味は素朴で大変おいしい。

水郷の舟の先ゆく赤とんぼ   青木 陽子

 琵琶湖の水郷、近江八幡での嘱目吟だろうか。水郷巡りの屋形舟が出ている。船頭がゆっくり漕ぐ舟の前を赤とんぼが飛ぶ。草に止まったと思ったら、舟が近づくたびに前へ飛ぶ。「舟の先ゆく」と案内人みたいに詠み、傑作である。

秋澄むや嬰の髪膚にミルクの香   吉田 孟

 赤ちゃんを抱くと、ミルクの甘い匂いがした。秋日和で空気も澄んだ日は、特に髪膚(はっぷ)、つまり体全体からいい匂いがする。明るくて、気持ちのいい作品である。

塔の上にとどまる如し盆の月   赤井 榮子

 先祖の霊を迎え、供養をするお盆の夜、五重塔の上に丸い月が浮かぶ。いつ見ても塔の空にあるようにも見える。明るい月を仰ぎながら、亡き人たちを思う。「とどまる如し」には、「とどまって欲しい」という思いもあり、心を打つ作品である。

坪庭の日向へひらり秋の蝶   阪本 節子

 通りに面した京都の狭い町家の中に、小さな坪庭を持つ建物も見られる。秋空を飛ぶ蝶々が日の当たる坪庭を見つけてひらりと舞い降りる。「坪庭の日向」の「日向」の発見が佳句に仕立てた。蝶々の姿も目に浮かぶ。

脱ぎ捨てし地下足袋に鳴く昼の虫   神代 喜代子

 戸外で働く夫か誰かが、昼飯に家に戻る。玄関に脱ぎ捨てられた地下足袋を揃えようとしたら、こおろぎだろうか、ルルルと鳴いている。動きのある一句一章表現で判り易く、「昼の虫」の季語も効き、秀逸である。

新藁の端まで納豆詰まりをり   西村 知佳子

 藁に包んだ納豆でも俳句の材料になるというお手本のような句。納豆の藁は稲を刈り取ってまもない新藁で幾らか青く、みずみずしい。その端まで納豆が詰まっている。新藁と端まで納豆が詰まっているところを見つけ、佳句となった。


立食ひのカレー掻き込む夜学生    岩﨑 利晴
帰る子に切つて持たせり秋桜     林  絹子
明け方の空赤々と厄日かな      中島 麻美
そぞろ寒石山白くそそり立つ     黒川 愛子
かだつかふ錆びしポンプや竹の春   中岡ながれ
爽やかや激闘終へてノーサイド    市村 英樹
逆さ吊り曲がつて乾き唐辛子     三宅 幸枝
望の月うす雲纏ひ上がりけり     田浦 朝子
畦道の崩れしところ秋蛙       吉田 孝子
秋風に裏を見せたる牛の舌      細野 健二

 

11月号

夏の蝶郵便受に翅合はす   池田 善枝(巻頭)

 日の中を飛び回っていた夏蝶が、玄関先の郵便受に翅を閉じて休んでいる。まるでちょうちょうが絵葉書のように届いたみたいで、童心を思わせ、なかなか面白い。〈百日紅見上げて夫と長電話〉も楽しい作品。

日の落ちてゆく玫瑰の向かうかな   太田 のぶ子
 
 「玫瑰」の句では、中村草田男の〈玫瑰や今も沖には未来あり〉が有名。掲句は、紅色の玫瑰が咲き、その向こうの沖に沈む夕日を詠む。「日の落ちてゆく」で軽く切れ、「玫瑰の向かうかな」と結び、秀逸である。

新聞に鶏頭包み登校児   堀田 智恵美

 鶏頭は鶏頭花のこと。先生の教団にでも飾るのだろうか。登校児が、古新聞に四、五本の鶏頭花を包んで提げて行く。赤い花が新聞から覗き、健康そうな児童の姿も想像でき、妙味に溢れている。

初物のゴーヤ掻き揚げ大皿に   太田 徳子

 畑から採ってきた初物のゴーヤ(苦瓜)を細かく刻み、ほかの野菜などと掻き揚げにし、大皿に盛りつける。いかにもおいしそうで、健康な日常生活を思わせる。「大皿に」が生き、佳句になった。

法要の読経高まり一葉落つ   阪本 節子

 お堂で何人かの僧が法要を営む。読経の声が高くなり、庭の桐がはらりと葉を落とす。「一葉落つ」(桐一葉)は秋の気配を感じさせるたとえで、読経の高まりのなかの一葉を捉え、秀逸である。

爪立ちて捥ぐ無花果や日の匂ひ   大槻 敏子

 無花果の木の少し高い所に熟した実が見える。爪立ちをして捥ぎ取ると、温かい日の匂いがする。「無花果や」で切ったため、下五の「日の匂ひ」が強調され、実感があって大変いい。

居酒屋の暖簾ひらめく夜の秋   松本 義實

 「夜の秋」は、夏の夜更けの涼しさに秋の気配を感じる季語である。居酒屋の前を通れば、暖簾が風にひらひら揺れている。こんな日はビールもおいしい。作者は居酒屋に入ったのだろうか。

点滴の夫の丸窓小鳥来る   加藤 五十鈴

 病院で体を壊した夫が点滴を受ける。夫は寝ながら、丸窓から渡って来た小鳥を眺める。「夫の丸窓」はやや省略し過ぎの感もあるが、意味もよく判り、味わい深い。

八月六日父の部屋より空仰ぐ   市川 好子

 「八月六日」は広島の原爆忌。父が使っていた部屋の窓から空を仰ぎ、原爆による傷ましい日のことを思う。「父の部屋より」は何気ない表現だが、父親も広島忌にはいつも祈っていたに違いない。

竈馬古き湯殿の片隅に   小林 秀

 竈馬(かまどうま)は蟋蟀(こおろぎ)に少し似ているが、背が丸く、翅も無くて鳴かない。昔から竈を据えたような湿気があり、薄暗い場所を好むが、古い湯殿の片隅に、長い触角を動かしながら棲んでいた。「古き湯殿」は山の秘湯かもしれず、どこか懐かしい風景である。

台風の近づく潮の匂ひかな   加藤 和子

 台風が上陸する港町。台風による荒波が岸壁に打ち寄せ、町中には潮の匂いが立ち込める。台風到来の予感を「台風の近づく匂ひ」と一気に詠み下し、「かな」で結ぶ。一物仕立ての佳句である。

薄暗き子規堂に来て拭ふ汗  山田 流水

 松山の子規堂だろうか。ようやくたどり着き、薄暗い部屋を覗きながら旅の汗を拭う。飾り気のない表現で実感もあり、妙味豊かである。

ばら園のかそけき匂ひ風に乗り   高野 裕治
狗尾草道の瓦礫に根を張りて    辻井 康子
ふるさとや木小屋の裏に萩の花   谷口 千惠子
生身魂今朝もバーベル揚げてはる  吉田 孟
草抜く手止めて黙禱広島忌     川西 蓉子
糸蜻蛉水の色して水に消ゆ     荒巻 久江
西日背に坂登りゆく下校の子    大前 美智子
動かざる水車のひびや虫時雨    中嶋 洋子
音ばかり花火の夜の一人酒     木村 あき子
新涼や路地に子供の声戻り     神山 貴代


10月号

しろがねの水響き落つ木下闇   中岡 ながれ(巻頭)

 冷ややかに輝く銀の滝の水が響きながら、真夏の暗い木陰に落ちてゆく。眩しい「しろがねの水」は一転して視界から消え、暗闇にごうごうと音だけ残す。季語の「木下闇」を巧みに使い、陽から陰に一変する滝の光景を丁寧に詠み上げ、味わい深い。

豊洲市場炎暑に唸る杭打機   市村 英樹

 東京都民の胃袋を満たすマンモス市場。築地から移転したばかりの豊洲市場ではまだ工事が残っている。炎天下の作業風景を「炎暑に唸る杭打機」とずばり詠む。八月の関東吟行での嘱目吟だが、表現に過不足がなく、秀逸である。

窓ぎはへ術後のベッド庭花火   溝西 澄恵

 大病で手術し、体調を少し取り戻したころだろうか。子どもが庭で手花火をするのを見るため、ベッドを窓ぎわに移す。ガラス越しに花火に照らされた子どもの笑顔が見える。優れた短編小説のような味わいがあって大変いい。

振り向けば牧の牛鳴く晩夏かな   髙橋 恵美子

 牧場に放たれた牛を柵越しに眺め、時々草も与える。帰るとき、少し歩いてから振り向くと、牛が大きな声で鳴く。まるで、呼び止めようとするかのようである。いかにも穏やかな風景で、「晩夏かな」には感動の思いも込められている。

青色というもさまざま七変化   福江 真里子

 紫陽花は七変化とも言われるように、色が変わる。一般に青色と言っても良く見れば「さまざまの青がある」と素直に自分の思いを詠んだところがいい。

金亀虫重なり合つて樹液吸ふ   岩﨑 利晴

 金亀虫(こがねむし)は子どもにとってはなじむ深い。夏休みは捕虫網を持って山林に入れば、木の幹にすがり、何匹かが樹液を吸っている。まさに、句のように「重なり合つて樹液吸ふ」である。「重なり合つ(原句「ふ」て)と丁寧に描写した点がいい。

砂山に紅きサンダル夏惜しむ   須藤 範子

 砂山は海辺だろうか。海鳴りが響く砂山で、女の子が紅いサンダルを脱ぎ捨て、砂で何かをこしらえている。こんな健やかな姿をいつまでもという思いもにじむ。健康色とでも言えそうなサンダルの紅に焦点を当てて詠み、「夏惜しむ」の季語もぴったりである。

故郷の道を横切る毛虫かな   前田 かよ子

 故郷の道を歩いていたら、むくむく太った毛虫が横切っていた。踏まないよう、あわてて立ち止まり、道を横切るのを待つ。故郷との出会いはまず毛虫というのもおかしい。「故郷の」と大きく詠み出し、小さな毛虫で結ぶのも面白い。楽しい作品である。

峰雲や路面電車のきしむ音   細野 健二

 炎天下を走る路面電車のきしむ音は神経を刺すみたいだが、上五に「峰雲や」と置いたため、逆に爽快感を覚えさせる。町の背後に立ち上がる大きな入道雲。その前を路面電車がきしみながら走るのは、町全体を生き生きさせるようである。季語の使い方次第で、俳句は生きてくる。

蕎麦すする喉の奥まで夏大根   堀田 智恵美
 少し辛い下ろし大根をかけた下ろし蕎麦は実にうまい。夏場の清凉剤にもなるが、傍をすすったあとも、夏大根の辛味が喉の奥に残っている。どこか傑作で面白い。

汗拭ふ袖に染みたる草の色   太田 徳子

 草刈りで大汗をかき、手拭いで顔や首筋を拭く。ふと見れば作業着の袖が草の汁で青くなっていた。真夏の厳しい労働を思わせ、実感があって大変いい。「拭ふ」の原句は「払ふ」。

梅雨晴のアルプス望み朝湯かな   宮崎 和子

 一読、意味もよく判り、幸せそうな雰囲気に読む人を楽しませてくれる。「梅雨晴」「アルプス」「朝湯」の三つの言葉を組み合わせ、最後は詠嘆の終助詞「かな」で結ぶ。「晴れたアルプスを眺めながら入る朝湯はかくべつだなあ」と。実にうらやましい人である。

道塞ぐ蛇に踵を返しけり      曽根 和子
だるき足枕にのせて半夏生     木村 あき子
揺り椅子に夫の遺愛の夏帽子    林 絹子
くちなしの初花かをる雨上り    秋元 綾子
をちこちの睡蓮ゆらす鯉の口    谷口 千惠子
軒下に目高泳がせ大火鉢      赤井 榮子
とうすみの影をうつすら爆心地   平岡 貴美子
火取虫腹見せ止まる厨窓      藤井 淳子
病臥せる母の目線に金魚鉢     青木 千春
あさなさな空の近づく立葵     内海 英子


9月号

楼門の仁王の目玉緑さす   市川 好子(巻頭)

 大寺の正面には二階建て(二層)の壮大な楼門が建ち、左右二体の仁王がぎょろりと目を剝く。目玉には周りの木々の緑が映り、木々に包まれた大きな伽藍も想像される。無駄のない表現で、「仁王の目玉」に焦点を当てて詠み、大変いい。

富士三日晴れて植ゑたる茄子の苗   志知 久三子

 晴の日が珍しく三日続き、富士山も裾野まではっきり見える。用意していた二、三十センチの茄子苗を畑に移植する。苗は富士を目の前に生長し、紫色の花をつけ、実を結ぶに違いない。「富士三日晴れて」の詠み下しが大変鮮やかである。

金魚田の暗き水面に色動く   松本 義實

 金魚を育てる金魚田は、梅雨どきともなれば水面も暗い。でも、よく見れば水面下に金魚の泳ぐ様子も見える。その光景を「色動く」とズバリと表現した点が秀逸である。

涼風のひとたびとほる机かな   中岡 ながれ
 
 蒸し暑い日、書斎の窓を開けて本を読んでいたら、涼しいかぜが入ってきた。しかし、風は一度切りである。「ひとたびとほる」とさらりと表現し、感性がある。下五は「机かな」と結び、読み手に机上の様子も任せ、余情を感じさせる。

蔵のかげ蕺草の花広がりぬ   三宅 幸枝

 蕺草(どくだみ)は日陰を好み、六月ごろに白い十字の花を咲かせる。白い根は地中深くまではびこり、臭気も強い。土蔵の陰に、蕺草がいっぱい咲いている風景を「広がりぬ」と詠む。まるで、花盛りの蕺草を讃えているようである。原句は、「広がりて」だが、「広がりぬ」の強い表現がいい。

玉子焼匂ふ厨房梅雨湿り   梅本 重一

 台所に玉子焼の甘い匂いが漂う。梅雨どきで空気も湿っぽく、匂いはいつまでも消えない。「梅雨湿り」で、甘い匂いが台所に長く籠る様子も判り、季語の斡旋が大変いい。

青空の広がるプール開きかな   田久和 多惠子

 難しい言葉を使わず、爽やかな青空の下で始まるプール開きの光景をずばりと表現。「青空の広がる」と「プール開き」を併せ、「かな」で結んで感動の思いを鮮やかに描いた。

じやがたらの花の畑に父祖の墓   溝西 澄恵

 先祖代々の墓は畑の中にあり、「じやがたら」(じゃがいも)の花に包まれている。「じやがたら」の原語はインドネシアのジャカルタの古名。江戸時代以降、ジャワ島の意味で、島の産物の「じゃがいも」も「じゃがたらいも」と言ったそうな。歴史のある「じやがたらの花」は遠い祖先の墓にふさわしい。

青梅のぶつかりあつて洗はるる   稲葉 恭枝

 梅干しいする青梅がぶつかり合いながら洗われている。青梅を主語にして詠み、自ら「ぶつかり合う」と梅にも意思があるみたいでなかなか面白い。妙味に溢れている。

青嵐木々の雫を落としゆく   内海 英子

 青葉のころに吹く強い青嵐が、木々に残った雨雫を落とす。「落しゆく」と強調し、青嵐の壮大な動きを表現し、味わい深い。「青嵐(あおあらし)」を「青嵐(せいらん)」と使うのはよくない。

葉裏より触角のぞく髪切虫   池田 善枝
 
 髪切虫は天牛とも書き、立派な顎を持ち、細くて長い糸のような触角が特徴である。昆虫採集の子どもにとっては、甲虫同様に人気がある。掲句から、子どもが長い触角を葉裏から覗かせる髪切虫を見つけ、どきどきしながら手を伸ばす風景も想像でき、楽しい作である。

父の忌の青山椒を噛みしむる   熊谷 キヨエ

 熱する前の青山椒の実。「山椒は小粒でもピリリと辛い」の格言もあるように、小粒でも噛んで見れば確かに辛い。父の忌日に青山椒を噛みしめながら、ありし日の厳しさ、潔癖さ、さらに心の奥の温かい愛情を思い出す。

大社へと細き禰宜道木下闇   大谷 とし子
 作者は奈良在住なので、大社は春日大社と思われる。大社の裏の森には、神官ら禰宜が通う道がある。夏の茂った木々に覆われ、闇のように暗い。「木下闇」の季語を使い、禰宜道の風景を鮮やかに描いた。ねじ花を詠んだ〈文字擦草踏まぬやうにと足もつれ〉も植物の特徴をよく捉え、面白い。

竹夫人燃えるごみの日出されをり  吉田 孟
駅までの一本道や青田風      熊川 多恵子
蓮の花浄土の如き村の池      山田 流水
香水を箪笥に仕舞ふ朝の妻     細野 健二
源蔵てふ居酒屋の名や鱧の皮    山岡 ひろみ
銅剣の出土せし山緑濃き      遠山 美咲枝
七夕竹担ぎて朝の小学校      鈴木 親典
海風や段々畑の枇杷熟るる     福島 教子
梅雨寒や馬の顔似の壁の染み    鷹峰 正龍
夕凪やカレーの匂ふ金曜日     橋本 信義